
Eiga no ongaku / 映画の音楽
Chion, Michel
RESUMEN. Traducción al japonés de la obra de Chion. SUMARIO. 序文 // 第1章 — 偽のエスペラント語 — 映画を用語する概念 — 作家の神話 — 心理化 — 科学技術至上主義と経済主義 — 理想主義 — 統一主義 — ニ元論 — 音楽なしで // 第1部 《音と映像の共存の一世紀》/ 第2章 — サイレント映画における伴奏音楽の一般的な特徴 — 初期の枠組 — 映画館における音源 — 追っかけと疾走 — 撮影中の音楽 — 無声映画のストーリーのなかの音楽 — 断続的な音楽の連続か連続的な音楽 — 「キュー・シート」と「キノテクス」 — 音楽的るつぼ — 無声映画化されたオペラ — 無声映画のためのオリジナル音楽 — 音楽と純粋映画 — 音声同時録音技術の発明 — ヴァイタフォンと音楽 — 映画館に対する視線の変化 — 支配された音楽 — すべてを転換させた映画 — ジャズの歌、祈りの表現 — 歌手の映画 — アメリカ映画におけるジャズと黒人音楽 — スクリーン内音楽の時間 — 物語の同時性と対位法の夢 — 機械と都市の交響曲 — リズムになった世界 — 世界のメロディ — シリー・シンフォニー — 殺人と音楽 — 中断された音楽 — 社会派ミュージカル映画 / 第3章 — 非連続から連続へ — 欠落した結合 — 録音されたものとしての映画音楽 — 規則と例外 — フランスとアメリカ — 古典の指標 — 50ハリウッドの古典映画と比較した各国の映画の特徴 — 51 年代における改良の因子 — ジャズの流行 — ロックと歌 — 脚光を浴びたメロディ — ポップ・ミュージックの侵入 — 新しいスタイル — フランスのヌーヴェル・ヴァーグ、ヌーヴェル・ミュージック? — モダニズムの時代 / 第4章 — 交響曲の巻き返し — スペクタクル映画の再流行 — ロック・オペラからディスコ映画まで — ドルビー・サウンド方式の登場 — 新しい「オーケストラ・ピットの音楽」 — 期待はずれのシンセサイザー — 問題の多いディスコ映画 — オペラ映画 — オペラの弔い? — 「放送中」の音楽 — 映画音楽がその歴史を引用するとき — 無声映画に使われた新しい音楽 — 編曲へ向かって // 第2部 《映画における音楽の3つの側面》 / 第5章 — プロスペローの島 — 機能主義的説明モデル? — オーケストラ・ピットの音楽、スクリーン内音楽 — 音楽の一般的機能 — 音楽、演劇、自然主義 — 「唯一の、必然的な」関係について — 最小限の音楽 — 連続体と不連続体 — 象徴化 — 追加価値、基本的効果 — 音像結合と不協和音 — 音楽、時間、動き:時間的な消失線の創造 — 時間的な二重の予測 — エロティシズムとスローモーション — 無調音楽と時間 – 音楽が映画を共に=灌漑し、共に=構造化する — — ライとモティーフの循環 — 映像の動きの源 — 空間に抑揚をつける音楽 — 音楽、働きかける力 — 主観化する音楽 — 映画の鼓動する心臓 — 感情移入の効果、非感情移入の効果 — 殺人と歌 — 発露の音楽 — 映画と手紙のアリア / 第6章 — 世界の音楽 — 「映画の国」 — 音楽のない映画 — 音楽のいけす — 音楽、ジャンル — オリジナル音楽の問題性 — 映画音楽というスタイルはあるか — クラシック音楽 — ヴィヴァルディとバッハ — モーツァルト — ベートーヴェンとシューベルト — チャイコフスキー — ヴァーグナーは映画の音楽家か — ドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキー / 第7章 — 音楽を撮る — つくられた音楽、自然の音楽 — 内的なものの外化 — 指揮者 — インテルメッツォ(間奏曲) — 音楽のレッスン — 歌 — 歌から生まれる映画 — ジャズ — ポピュラー形式としてのミュージカル映画 — ダンスとしての、または音楽としての映画 — 偽りの類似 — 映画とポリフォニー // 第3部 《復活の独自性》 / 第8章 — 132二人三脚という神話 — 音楽のコンセプトと作曲様式 — 多才な作曲家 — 音楽を使用する際の落とし穴 – — 見える俳優/見えない俳優 — 俳優と創造者 — 映画とそこにかかわる人たち — ロバート・アルトマン — オタール・イオセリアーニ — クリント・イーストウッド — ルキノ・ヴィスコンティ — ヴィム・ヴェンダース — セルゲイ・ミハイロヴィッチ・エイゼンシュテイン — ジャン・エプステイン — マックス・オフュルス — フィリップ・カウフマン — スタンリー・キューブリック — ジャン=リュック・ゴダール — フランシス・フォード・コッポラ — アラン・コルノー — ハンス=ユルゲン・ジーバーベルク — ジム・ジャームッシュ — モーリス・ジョベール — クロード・ソーテ — ジャック・タチ — グル・ダット — アンドレイ・タルコフスキー — チャールズ・チャップリン — マルグリット・デュラス — ミシェル・ドゥヴィル — ジャック・ドゥミ — フランソワ・トリュフォー — ジョルジュ・ドルリュー — マイケル・パウエル — バーナード・ハーマン — アルフレッド・ヒッチコック — フェデリコ・フェリーニ — ルイス・ブニュエル — ベルトラン・ブリエ — オットー・プレミンジャー — イングマール・ベルイマン — アルトゥール・ペレチアン — アーサー・ペン — ノーマン・マクラレン — ウォルター・マーチ — テレンス・マリック — フリードリッヒ・ウィルヘルム・ムルナウ — ジョン・ランディス — スパイク・リー — キャロル・リード — デイヴィッド・リンチ — ワルター・ルットマン — ジャン・ルノワール — クロード・ルルーシュ — サタジット・レイ — セルジオ・レオーネ — アラン・レネ — エリック・ロメール // 訳者あとがき // 年表 // 主要参考文献 // 映画作品名索引

Eiga no ongaku / 映画の音楽
Chion, Michel
RESUMEN. Traducción al japonés de la obra de Chion. SUMARIO. 序文 // 第1章 — 偽のエスペラント語 — 映画を用語する概念 — 作家の神話 — 心理化 — 科学技術至上主義と経済主義 — 理想主義 — 統一主義 — ニ元論 — 音楽なしで // 第1部 《音と映像の共存の一世紀》/ 第2章 — サイレント映画における伴奏音楽の一般的な特徴 — 初期の枠組 — 映画館における音源 — 追っかけと疾走 — 撮影中の音楽 — 無声映画のストーリーのなかの音楽 — 断続的な音楽の連続か連続的な音楽 — 「キュー・シート」と「キノテクス」 — 音楽的るつぼ — 無声映画化されたオペラ — 無声映画のためのオリジナル音楽 — 音楽と純粋映画 — 音声同時録音技術の発明 — ヴァイタフォンと音楽 — 映画館に対する視線の変化 — 支配された音楽 — すべてを転換させた映画 — ジャズの歌、祈りの表現 — 歌手の映画 — アメリカ映画におけるジャズと黒人音楽 — スクリーン内音楽の時間 — 物語の同時性と対位法の夢 — 機械と都市の交響曲 — リズムになった世界 — 世界のメロディ — シリー・シンフォニー — 殺人と音楽 — 中断された音楽 — 社会派ミュージカル映画 / 第3章 — 非連続から連続へ — 欠落した結合 — 録音されたものとしての映画音楽 — 規則と例外 — フランスとアメリカ — 古典の指標 — 50ハリウッドの古典映画と比較した各国の映画の特徴 — 51 年代における改良の因子 — ジャズの流行 — ロックと歌 — 脚光を浴びたメロディ — ポップ・ミュージックの侵入 — 新しいスタイル — フランスのヌーヴェル・ヴァーグ、ヌーヴェル・ミュージック? — モダニズムの時代 / 第4章 — 交響曲の巻き返し — スペクタクル映画の再流行 — ロック・オペラからディスコ映画まで — ドルビー・サウンド方式の登場 — 新しい「オーケストラ・ピットの音楽」 — 期待はずれのシンセサイザー — 問題の多いディスコ映画 — オペラ映画 — オペラの弔い? — 「放送中」の音楽 — 映画音楽がその歴史を引用するとき — 無声映画に使われた新しい音楽 — 編曲へ向かって // 第2部 《映画における音楽の3つの側面》 / 第5章 — プロスペローの島 — 機能主義的説明モデル? — オーケストラ・ピットの音楽、スクリーン内音楽 — 音楽の一般的機能 — 音楽、演劇、自然主義 — 「唯一の、必然的な」関係について — 最小限の音楽 — 連続体と不連続体 — 象徴化 — 追加価値、基本的効果 — 音像結合と不協和音 — 音楽、時間、動き:時間的な消失線の創造 — 時間的な二重の予測 — エロティシズムとスローモーション — 無調音楽と時間 – 音楽が映画を共に=灌漑し、共に=構造化する — — ライとモティーフの循環 — 映像の動きの源 — 空間に抑揚をつける音楽 — 音楽、働きかける力 — 主観化する音楽 — 映画の鼓動する心臓 — 感情移入の効果、非感情移入の効果 — 殺人と歌 — 発露の音楽 — 映画と手紙のアリア / 第6章 — 世界の音楽 — 「映画の国」 — 音楽のない映画 — 音楽のいけす — 音楽、ジャンル — オリジナル音楽の問題性 — 映画音楽というスタイルはあるか — クラシック音楽 — ヴィヴァルディとバッハ — モーツァルト — ベートーヴェンとシューベルト — チャイコフスキー — ヴァーグナーは映画の音楽家か — ドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキー / 第7章 — 音楽を撮る — つくられた音楽、自然の音楽 — 内的なものの外化 — 指揮者 — インテルメッツォ(間奏曲) — 音楽のレッスン — 歌 — 歌から生まれる映画 — ジャズ — ポピュラー形式としてのミュージカル映画 — ダンスとしての、または音楽としての映画 — 偽りの類似 — 映画とポリフォニー // 第3部 《復活の独自性》 / 第8章 — 132二人三脚という神話 — 音楽のコンセプトと作曲様式 — 多才な作曲家 — 音楽を使用する際の落とし穴 – — 見える俳優/見えない俳優 — 俳優と創造者 — 映画とそこにかかわる人たち — ロバート・アルトマン — オタール・イオセリアーニ — クリント・イーストウッド — ルキノ・ヴィスコンティ — ヴィム・ヴェンダース — セルゲイ・ミハイロヴィッチ・エイゼンシュテイン — ジャン・エプステイン — マックス・オフュルス — フィリップ・カウフマン — スタンリー・キューブリック — ジャン=リュック・ゴダール — フランシス・フォード・コッポラ — アラン・コルノー — ハンス=ユルゲン・ジーバーベルク — ジム・ジャームッシュ — モーリス・ジョベール — クロード・ソーテ — ジャック・タチ — グル・ダット — アンドレイ・タルコフスキー — チャールズ・チャップリン — マルグリット・デュラス — ミシェル・ドゥヴィル — ジャック・ドゥミ — フランソワ・トリュフォー — ジョルジュ・ドルリュー — マイケル・パウエル — バーナード・ハーマン — アルフレッド・ヒッチコック — フェデリコ・フェリーニ — ルイス・ブニュエル — ベルトラン・ブリエ — オットー・プレミンジャー — イングマール・ベルイマン — アルトゥール・ペレチアン — アーサー・ペン — ノーマン・マクラレン — ウォルター・マーチ — テレンス・マリック — フリードリッヒ・ウィルヘルム・ムルナウ — ジョン・ランディス — スパイク・リー — キャロル・リード — デイヴィッド・リンチ — ワルター・ルットマン — ジャン・ルノワール — クロード・ルルーシュ — サタジット・レイ — セルジオ・レオーネ — アラン・レネ — エリック・ロメール // 訳者あとがき // 年表 // 主要参考文献 // 映画作品名索引















